えん罪事件(1/8)
◆ ここが静岡県と言う事もあって、袴田事件に関しての報道は多かった。袴田事件とは1966年に起きた強盗殺人放火事件である。犯人として捕まったのが袴田氏で、1980年に死刑が確定した。袴田氏は終始無罪を主張していた。
◆ その後支援者らによる再審請求の手続きとなるが、これもすんなりと行ったわけではない。それでも2020年にはわずかな道を開く事が出来て2023年に再審開始、2024年に無罪判決となった。
◆ 焦点は検察側が証拠とした血痕の付いた衣類の、血痕は味噌樽の中で残留するかどうかだった。事件発生から1年以上を経過した時、味噌樽の中から血痕の付着した衣類が見つかった。これが証拠となって袴田氏が逮捕されたわけだが、1年以上も味噌に漬かっていた衣類で血痕が判別出来るかどうかが焦点となる。
◆ 弁護側は味噌(醤油)によって鮮明な血痕が残るはずがないと主張したが、検察側は血痕は判別出来たとする。その後実験などが行われるわけだが、この血痕の証拠能力と警察のでっち上げではないかという疑惑が争点になる。そもそも自白調書で触れられていない衣類が、何故1年以上経ってから見つかり、更にそこに残った血痕から血液型まで判明したのか。また衣類は袴田氏が着用するにはサイズが小さく不自然であると弁護側は主張した。
◆ 検察側は味噌樽の中にあった衣類からでも血液反応は検出可能であり、血液型も特定出来る、衣類は味噌樽の中で縮んだものであって袴田氏のものに間違いはないとした。捜査員は袴田氏が着用していたのと同じ布を、袴田氏の実家で発見したとした。しかしこれも、着衣の製造元から捜査員がサンプルとして入手していた事が後に分かり、証拠のねつ造疑惑が持ち上がる。
◆ そのほかにも証拠品に残るDNSが袴田氏のものと一致しないなど、弁護側は証拠ねつ造が多岐にわたっていた事を追求した。取り調べも非常に過酷なものであるとされ、自白の強要が行われたとされた。こうした事からえん罪事件である可能性が高まり、2024年の9月に無罪の判決となった。
◆ 本当に無罪なのかどうなのかは犯人しか知り得ない訳だし、袴田氏が犯人でないとすれば警察の強引な取り調べによって犯人を逃がしてしまった事になる。時代的には、誰かを捕まえて犯人に仕立て上げなければ事件が終わらない、そのような空気に包まれていたのだろう。そこには正義などと言うものは希薄で、真実であろうがなかろうが犯人を捕まえ、事件を終わらせる事のみに力を注いだ警察官の姿がある。
◆ これは袴田事件だけの問題ではなく、他のえん罪事件も同様だ。さらには裁判官も自らが可愛いので、検察有利の判決を出す傾向にあるのは現在でも同様だ。警察官と民間車両の交通事故では、複数の民間人の証言よりもたった一人の警察官の証言が正しいとされた例もある。警察官は警察官でありその証言が正しいという、訳の分からない事を裁判官は言った。
◆ 日本に於ける有罪率は約99.9%であり、起訴されれば必ず有罪になる。戦後のえん罪事件で再審が行われたのは9件あり、布川事件では無期懲役から無罪判決となった。免田事件や財田川事件では死刑から無罪となっている。
◆ これは再審が行われたものであり、再審が行われないまま死刑が執行された事件もあるだろう。取り調べの可視化などは近年になって言われ始めた事であり、昭和の時代には密室での取調べで調書が作られていた。
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