オートサロンは盛り上がっているようだ

東京オートサロンは三栄書房のOption誌初代編集長である稲田氏が発起人となり、エキサイティングカーショーとしてスタートした。
その後オートサロンに名を変えるわけだが、元々はチューニングカーの展示会みたいな感じだったので、自動車メーカの出展は少なかった。

湾岸線では最高速を求めるチューニングカーが空気を切り裂き、真夜中の埠頭には人が集まって0-400m戦が繰り広げられていた頃である。
正確には最高速ブームの方が先で、湾岸での取り締まりなどが増えてゼロヨン派に移行した感じだ。
このあたりは地域性もあって、東京近郊なら湾岸線、北関東なら常磐道に速い車が集まる。
常磐道は湾岸線より車が少ないのだが、朝方に霧が出る事が多かった。

最高速をやるには長い直線が必要だし、ゼロヨンも広い場所が必要だ。
なので北関東方面だったら最高速だゼロヨンだではなく、峠を攻めていたのかも知れない。

私は出展側として1回か2回オートサロン、いや正確には東京エキサイティングカーショーの時代に行った事があった。
チューニングカー全盛の時で、有名処のショップは皆ブースを構えていた。
チューナ同士が顔を合わせるのは谷田部(当時は谷田部自動車試験場で最高速テストが行われていた)くらいなので、最高速度やタイム関係なしに和めるのはオートサロンくらいだったのかも。
ここには書けないようなジャンケン大会が繰り広げられたり、平たく言えば不良の集まりみたいなものですからね。

普段は雑誌でしか見た事のない有名チューナが目の前にいるわけで、ブースの人だかりも凄かったし熱気というのかな、アイドルを囲む推しの人々みたいとでも言えば良いのかな、今風に表現すると。
そんな熱気にのぼせたら裏の方に並べられた椅子に座って一休み、だった。

最初の頃はそうしたショップの集まりで、飾り気も何もなかった。
しかし回数を重ねるごとに、ショップはコンパミオンを用意したりして、華やかさも出てくるのだった。
その後の事は私はあまり知らなくて、オートサロンにも自動車メーカが多く出るようになったんだねと言っている間に今が来てしまったくらい、自動車関連産業と関わっていなかったのである。

コメント

  1. なおろん より:

    元々はAutoSport Optionだったんですよね、Option誌は。F-1雑誌だった前者は買いました。
    不良の集会場のようなエキサイティングカーショーだったと思ってしまうので、オートサロンはいまだに行く気になれないんですよね。

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